レースの歴史

凱旋門賞概要
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フランスの競馬は一部の貴族やイギリスの外交官によってはじまりましたが、
ナポレオンの登場により、品種改良と制度の改良・設備を行ってきました。
 
人気がひと段落すると、競馬場が手狭となり、ロンシャン競馬場が新設され、国際競走を開催する土台が出来上がりました。
ロンシャン競馬場開設によって、まずパリ大賞が創設されました。
 
イギリスダービーの日程にあわせ、その後の行われれる本格的な国際レースとなり、巨額の賞金が出されました。
 
その後、市議会賞が創設され、パリ大賞で出走できない4歳以上の国際競走がおこなわれます。
しかし、負担重量により高い権威は得られず、
馬齢重量よる国際レースが創設されました。
これが凱旋門賞のはじまりです。
 
凱旋門賞は国際大会として現在では権威ある大会となっていますが、はじまりは困難の連続でした。
 
まず、外国の一流馬との対戦によりフランス馬の優秀さを証明する目的がありましたが、第一回では戦争によるインフラの破壊により、移動に時間がかかり、戦争の疲弊により競馬どころではなかったという実情があります。
外国馬が不在であり、賞金も多くなったがイギリスの一流馬は来ないのは大きな問題でした。
 
数年後に参加した外国馬はドイツやイタリアの馬で、当初の意図とは異なるものになってしまったのです。
その後第二次世界大戦により中断し、パリはドイツの占領下となりました。
戦後の凱旋門賞は振るわず、本来の意図どおりに開催するために賞金の大増額が行われました。
 
国営宝くじと交渉することにより、ヨーロッパでも最も高額賞金である馬齢重量の競走がとなりました。
高額賞金は目覚ましい効果があり、アメリカ三冠馬やアルゼンチン最強牝馬、イギリスからは二冠馬が登録し過去最多の出走数となりました。
 
その後イギリス女王の臨席があったりや名馬が数多く登場したりするなど、凱旋門所は名実ともに権威ある国際大会となっていったのです。


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